筑波大学で受けたパワハラ・アカハラ全記録

元筑波大学院留学生のパワハラ・アカハラ告発

9.最終回:研究以外の日常生活も教授の影響を受ける → 結論

最終回:

普段から私にやっていることの思い出し: 

      

 

 

修士二年目の4月、研究室の新歓で大学構内で花見をしました。終わりには、みんなで片付けをして研究室に戻る流れになりました。私は重くて大きい畳机を持って研究室に向かいました。その途中で先生から電話があり、「今どこにいるの?」と尋ねられました。私は「D棟の前にいます」と答えました。すると、電話の向こうから「そこに居ろ!」と叫ぶ声が聞こえました。理由がわからないまま、動かずにその場で待っていました。夜の8時頃で大学構内に人がほとんどいなかったため、遠くから先生が歩いてきて、「何やってんの!」と大きな声で叫びました。私に近づいてきた先生は、「お前研究もダメ、論文もダメ、仕事もダメ、何ができるの?本当に使えないだなあ、ありえないだから!」と睨みながら怒鳴っていました。その後、「お前が(畳机を)勝手に持ち出したせいで(私が)バスも乗れなかった、これから奥さんに迎えに来てくれと頼まなければならないんだよ」と怒られました。

どうやら私が先生の私物である畳机を持ち出したことが原因のようです。私は最初から最後まで一言も話さず、畳机が先生の私物であることを知らなかったため、何も言えずにバッシングを受けることになりました。

 

担当授業の半強制

 

 修士一年の授業選択時に、先生から「なぜ私の授業を選ばないの?」と尋ねられました。私は他分野の授業も取得できるため、専門領域に限定されず幅広い知識を積み重ねるべきだと考えていました。自分の専門分野を構築するためには、多様な知識を獲得した後に初めて有益だと考えています。そのため、他の分野の授業を優先して選択しました。もちろん、先生が担当している授業を受講する前には、先輩たちの意見も聞いていました。その授業は、学生が自分が編集に参加したテキストの各章をまとめて発表するだけのものだと聞きました。変わった要求も多く、受講には覚悟が必要だと先輩たちから聞かされました。

先生から直接尋ねられた以上、今後はその授業で直接指導を受ける立場にあるため、受講しないと後で困ることになるだろうと考え、急遽先生が担当している授業を選ぶことにしました。自分の興味に応じて授業を選択するのは自由だと思っていましたが、先生の圧力で授業変更を余儀なくされました。

 

 

些細なミスで叱られる

 

先生のオフィスに相談しに行った際、先生から「時間がないから早くして」と急かされました。私は相談内容をメモしようと思ったのですが、机の上が資料や紙で散らかっており、書く場所がありませんでした。急いでいたため、何もない状況でまた怒られるのではと焦り、先生が散らかした資料の上にメモを取りました。その行為を見た先生は3回も叫びました。「人の物の上で字を書くなって!人の物の上で字を書くなって!人の物の上で字を書くなって!前から教えたよね!と言われましたが、私の記憶ではこれが初めての叱責でした。先生の反応に驚き、内容を理解するまでパニックに陥りました。以前にそう指摘されたかどうかを必死に思い出そうとしましたが、思い出せませんでした。

私が先生のタブーを把握していれば、決してそのようなことはしません。資料の上に書いたとしても、睨まれながら3度も怒られることは予想外でした。机が散らかっており、書く場所がなかったため、焦ってしまい、やむを得ずそこでメモを取りました。このような出来事だけでなく、些細なミスでも怒られることは日常茶飯でした。変な解釈をすると先生を刺激してしまい、より深刻な事態に発展する可能性があったため、いつも黙って受け流すしかありませんでした。

 

アルバイトの干渉、研究室に毎日拘束

修士一年の後半に、東京にある有名な事務所でアルバイトをしていました。その内容は私の専門領域に関連する仕事で、第一線での経験を得る貴重な機会でした。週に1日か2日出勤し、このチャンスを大切にしました。しかし、先生は学校に来ていないという理由で反対しました。結局、そのことをバイト先に伝えて辞めることになりました。

実際には、バイト以外の毎日、学校に通っていました。修士一年目なので他の授業もあり、研究室にいる時間は限られていました。先生は私が研究室の自席に座っていないと学校に来ていないと認識されてしまったようです。毎日授業に出席し、授業後もきちんと学校に残っていましたが、先生の判断基準は何だったのでしょうか?自分のスケジュールを振り返りながら必死に状況を対処しました。

修士二年目でも同様に学校に来ないと言われましたが、実際には毎日研究室の自席に座っていました。朝の10時や11時から深夜1時以降までほぼ常時研究室に滞在し、休日も研究室で過ごしていました。先生がいつも朝9時頃と昼間ランダムに研究室を覗くので、そのタイミングに合わせられず、いつ覗かれているのか分からなかった結果、結局私が研究室にいないと思われることがありました。

研究室にいる時も先生が後ろから急に近づき、パソコンの画面を覗いて研究をしているかどうかの抜き打ちチェックをされることもありました。論文を書いているときは何も言われませんが、他のウェブページを開いているとすぐに「今は研究してないよね!」と言われました。このような監視があると感じ、非常に不快でした。後ろに立っているか分からない状況で、集中するのも難しく、研究室にいる時はとてもストレスを感じました。

宿舎、交友関係の干渉

先輩が学生寮から学外に引っ越す際、先生の同意が必要でした。先生は学生寮の利点を安さや日本人の友人作り、会話の機会などと強調し、「学生は寮に住むべきだ」と主張し、寮以外での生活に反対しました。

私も外での生活を考えたことがありましたが、先生との交渉はストレスがかかると分かっていたため、反対されることを予想して交渉せずに寮に長く住んでいました。実際に私は2年半も寮に住んでいましたが、そこでは日本人の住人は10%ぐらいで、中国やアジア系が80%、残りの10%が黒人でした。欧米人はいませんでした。寮内での学生同士の交流はほとんどありませんでした。逆に多くの中国人の友人を得ることができました。私が知っている日本人学生は皆、学校の外で生活しています。寮内の日本人学生とは一度もコミュニケーションをとったことがありませんでした。

ある飲み会で、先生は先輩の日本語が下手になった原因は同じ中国人の友人を作りすぎたからだと述べました。それ以降、私は先生の言葉に敏感になり、先生の前では中国人の友人と一緒にいることを避けるようになりました。

 

名誉損傷、勝手な憶測

 先生が根拠のない憶測を元に私のことを「本当は筑波大学の名前がいいから、修士に来ただろう?どうせ就職のために来たでしょう?」などと言い、私の考えをまったく尊重せず、いじめのように笑いながら周囲に同調を促す様子は、まるで中学生のいじめのシーンのようでした。こんなことを先生が行っているとは、まさか思ってもみませんでした。私が反論すると、先生は怒り出すか、さらに違った憶測を重ねてきます。このようなことが日常的で、もはや反論する気持ちさえ失せました。いつも無言で対応することが、先生にとって黙認されているように感じられました。この状況から離れたい一心で、いつも黙ってしまいました。まさに中学校での虐めのような場面を思い起こさせるものでした。

 

まとめ

先生の好みが私のすべてに影響を与えます。経験があれば何が許されるか、されざるかを理解できますが、未経験の場合は全く予測できませんでした。先生の意見が絶対であり、反対すると辛い目に遭いました。個人で先生とふたりきりになると、必ず高圧的な雰囲気を作り出し、訊問のような説教で普通に考えることができませんでした。私の行動を低く評価し、やっていないことについても繰り返し説教され、建設的な意見がないまま、高圧的な言い方で先生が言いたいことを長時間繰り返しました。二年半、この環境で過ごしました。筑波での日々は苦痛で、監禁されているような感覚さえ覚えました。大学院生活はトラウマであり、心身ともに耐えられませんでした。都会から離れた環境は勉強には良いとされていますが、先生の権限は非常に大きく、学校の対応はマニュアル通りで実質的に問題解決には至らず、逆に不信感を抱かせました。

このような状況では、個人では解決するのは難しいと考えます。学校としてもハラスメントを管理し、教育に失格と言えます。時折学内で「ハラスメントをなくそう」というパンフレットを見かけますが、それ以上の支援が不足しています。自分の問題ではない場合、先生を変えることが最も解決策です。

先生の権限が大きいため、先生の言葉をすべて正しいと信じ込むことがあります。真面目な人ほど、自分が問題を抱えた場合でもそのような信念が働き、自らに問題があると感じるかもしれません。もし現場の状況を判断できない場合は、第三者に相談したり、客観的な意見を求めたり、積極的に行動して解決することが重要です。周囲の先生に相談しても、同じ職場のため親身になってくれない場合があり、建設的なアドバイスが得られないこともあります。学内のハラスメントセンターも同様です。学校の制度をよく理解し、可能な範囲で活用することが必要です。